老いのひとこと

往時の頃同僚たちの談話の輪の中で花と咲くのが息子自慢孫自慢、京大がどうの医学部がどうのとはたまた一流商社へ嫁いだと話題がだんだんエスカレートすれば顔を隠してしずしずと後退りする惨めなわたしをつい昨日の出来事のように思い起こす。

身に染みて人間の業の浅はかさ下劣さを熟知し我が人生の心の置き所にして歳を重ねてきた筈にも拘らず今にしてどうしたことか些か変容を来たしたようなのだ。

 

大阪の小6の孫が合唱隊に所属し見る見るうちに府下屈指の実力校にまで伸し上った。

先日は府民会館にて披露会が催され晴れの舞台に立つのと同時に何んと事もあろうに開演に先立つプロローグの為にマイクを握ったとの朗報に接した。

並みいる観衆とは行かないまでもあっ晴れだ。何より育ての親たちの歓びはひとしおだと思うが取り分け15の春に涙して大阪人の仲間入りが遂に叶った我が息子の想いは感極まりなき事だろう。

 

旧帝大がなんだ早慶なんて糞喰らえだ、メガバンクがどうしたと云うのだ嘗ての同僚たちの前で声高に叫んでみたいものだ。