老いのひとこと(54)

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2016年4月9日発信文より奇なる文言に一瞬ハッとさせられた。

妙典寺の庫裏にて発見した史料の中に津田近三が「十之進の妻と二人の子のお墓の世話をする」のくだりの記述が含まれていたからだ。

我ながら「此れはでかした」と直感した。

 

津田近三には外喜雄と饒なる二人の子がいて或いはヒヨイとして其の末裔が此の世に存命じゃなかろうかと勘繰った。

役所の市民課へも照会いたしたが其の必要性が全くなかった事の何よりの証しではないか。

つまり成瀬近三=十之進近明=津田近三の三者が同一人物であれば近三はおのれ自身の妻と二人の息子たちの墓の世話を為し管理したと解されよう。

津田近三なる人物は養父和三郎の娘である我が妻と外喜雄・饒の二人の子息に先立たれたことを物語る以外の何物でもない。

 

妻と愛息とに死別された近三は失意のうちに養父半山の墓の左下手に自分の墓を建てて妻と子を弔った。

墓碑に刻まれし戒名は恐らく間違いなくそうでありましょうが此のわたしには再び妙典寺庫裏の桐箪笥を漁る気力はもうない。

成瀬近三こと津田十之進並びに津田近三は生年不詳ながら明治22年12月30日に没し此処妙典寺にて養父・妻・子らと共に眠るのです。

 

また実兄正居の成瀬日記にも其の間の経緯は詳述されようが紐解く才能も気力も最早此のわたしには無い。

 

    

此れにて全てが落着した。