老いのひとこと

一番孫が一時休暇を取ってはるばる坂出からやって来たのだが長居は出来ずに慌ただしく帰って行ってしまった。

其れでも貴重な時間の合間を見てきちんと顔を出して呉れた。

其の折に彼は意外なる書状を携えて来た。

二十年間の歳月を経た古き書状を彼は恭しく提示した。

母校四十万小のタイムカプセルに託してじいちゃんがしたためたお手紙ですと云う。

「あの時はありがとう!」と手渡された。

 

奇しくも此のわたしには先見の明があった。

孫の生い先を的確に見通すだけの眼力があの往時には健在であった何よりの証左ではないか。

 

あの駆けっこの屈辱を見事に克服し今や立派に大成したのです。

植物防疫官として日夜奮闘する。

国家の為、「食の安全保障」に身を呈して貢献する自慢の孫なのです。

 

 

今でも忘れはしない、仲むつまじき兄妹愛のあの一幕、兄が走り終えたその直後に妹が寄り添い何かを囁いた。

凡そ見当がつくのだが彼らはきっと忘れ去っているかも知れない。

20年後、仲良し兄妹は26歳24歳の立派な成人と相成った。