老いのひとこと

小4の孫からメールが入る、今年の一研究は読書感想文を止めて絵を描くことにしましたとある。

負担の重荷がそうさせたのだと理解を寄せはしたもののやはり安易さに流れ落ちたことは残念に思った。

「今年は本を読まずに済んで良かったね、今年はのんびり出来て好かったね」と少々皮肉を込めて返した。

敏感な子らしく本心を突かれたのか其の後は音なしの構えで反論が一向に返って来ない。

それで追伸に本を読むのは読者感想文を書くためではありません。

賢いルイは言われなくてもちゃんと一冊の本に首ったけだねと誘い水を入れて見た。

例えればね「まどぎわのとっとちゃん」を読んでますよと、じいじにアカンベーの仕草を返すのを期待した。

案の定、早速反応が在り「まどぎわのとっとちゃん」とはどんな本ですかと尋ねて来たのです。

ルイも是非読んでみたらと誘う、きっと中央図書館には必ず置いてあるので探してみてねと返答した。

 

実は此のわたし此の歳に至るも未だ黒柳徹子女史の名著を目にはしてはいないのだ。

此れは大失策なりと最寄りの図書館へ慌てふためきざまで飛び込んだ。 

死に掛けの年寄りが幼児向きの絵本の大きな活字にむしゃぶりつく、感涙が止めどもなく頬を濡らす。

小4の孫娘のお蔭で国民的名著に有り付けた。

本当に良かった、素晴らしき作品に直接触れることが適い此れほど嬉しいことはない。