老いのひとこと

先日の寒波襲来は西日本にも波及し交通機関にに被害を齎せたようだ。

雪神さまの取り計らいか其れとも白山連峰のお蔭か知らないが当地金沢近辺の積雪は雪国にしては難を逃れ大いに助かった。

歩道は兎も角車道の雪は消え去り歩くにはなにら問題はない。

真冬に草履履きは些か常軌を逸する行為ではあったが天下の天邪鬼は潔く歩み始めた。

但し素足以外は防寒着で重装備せざるを得ないほど外気は冷え込んだ。

ステッキ代わりに雨傘携え郊外の街並みを往く、あすなろ公園の雪原には雪達磨の残骸が二つ三つ、子らの姿こそなかったが笑みを忘れた老人の口元が弛み自ずと笑いが込み上げる。

保育園の園庭にも小学校のグランドにも達磨さんが並ぶ。

子供は雪の子、此ればかりは今も昔も変わりはない。

流石に石踏み道場は雪の下、カエデ並木も雪で覆われ横道を行けば庭木の黄梅がほころぶ、迎春花に相応しい、早々と春を告げて呉れている。

城谷川の小さな河川敷にたったの一輪の菊咲立金花を見付けました、もう直ぐにでも河原一面が黄色一色に染めれるよう。

 

黄色い花はどうして寒風にもめげずに極寒に強いのだろう、決して痩せ我慢ではなかろう。

かすれた口笛だがピッピとやればポチが顔を出す、目線が合ったが何時もように相変わらずポチは不愛想だ。

愛想無ない犬だがわたしに気付いて呉れたようだ、心が通ったような気がした。