老いぼれの居合稽古《8》

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その8
 半可通 (はんかつう)の知ったか振りは見苦しいし、わたしも忌み嫌う処である。
 四本目「柄当て」は居合膝から入る。
 先輩方や末岡敬正師、もっと遡れば大家政岡壱實師からは確か立膝の呼称で教わったはずだ。
 そこで政岡壱實著「英信流居合(居合膝の居合)」を開いてみれば居合膝が正式の呼称で後の世に立膝とも呼ぶようになったのだという。
 もっとも、流祖の時代には「あぐら座」とか「半あぐら」と云うたらしい。
 特に、真影流の教えでは「いしき(尻)を地につけて左の足をかしこまる(正座する)ようにして、右の膝を右の方に開き足の裏は左の太ももに当てるようにする。
 左の足は正座をし右の足はあぐらをかくような心掛けである。」と説明される。
 むかしの人は随分器用な恰好を為し遂げたものだ。
 尻は左足のかかとの上でなくてはいかにも不自由だ。
 ただし、往時は重き甲冑を纏っていたのだから十分肯けることかも知れません。
 よく注意を促されたことは右足の足の裏を敵に見せてはいけないと指摘されたが、つまりは直ちに立ち上がる準備体勢を強調された事と相成ろう。
 邪道だが、直心影流の「小太刀の部」5本目「突非乙非」をなまかじりした折に、仕太刀右足で打太刀を蹴り上げた後に、この右蹴り足の膝をつきかしこまり右かかとの上に尻を置く、合わせて左の足は伸ばして両手親指と人差し指で支える「折敷」の姿勢になる。
打太刀真向より打ち下ろす太刀をすかさず「左立膝」に変じ右手小太刀の裏鎬で請けつつ立ち上がり打太刀の鍔元を激しく跳ね上げる。
そして、左足、右足と蹴り技にはいり更にもう一度「折敷」の姿勢になる。
嗚呼、悲しいかな最早斯うした厳しき体勢は如何ともし難い、あの世で生まれ変わらない限り敵うまい。
 
「柄当て」にて立膝からえっこらさと体を起こし敵水月を突かんとすれば敵既に体を躱すか無惨にもわたしが敵の刃に懸っている。
無様だ。
齢を取りたくはないがどうしようもない。
これに見合った居合をわたし流に形造るより仕方がない。