老いぼれの独り言

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今にも降り出しそうな空模様だがラジオ体操を抜きにしたら一日が始まらない。
いや、おとこが廃る。
見れば、子ども会の世話役の方がラジオを携えでんと陣取っていられる。
迷った挙げ句の見事な英断だろう、わたしは感服した。
ところが不味いことに案の定、無情にも小雨が当たって来たではないか。
暫しの間を置いて、木陰に逃げ込む姿を二三人見受けたがそれに便乗するかのようにみんなが木陰に身を隠したではありませんか。
終には御身ただ一人グランド上で身体を動かした。
ラジオから旋律が響く以上「第二」終了までわたしはある意味意地を張った。
それには私なりの思惑がその時閃いていた。
世渡り拙劣で嘲笑の種になろうともわたしは「迎合主義」には屈したくない。
周りから、こんなお声も掛かった。
“あなたが止めなければみなが帰れないではないか”という。
主体性なく他人の多数意見に従う事を美徳としてきた。
波風立てずに穏便に物事を処する事の大切さを教え込まれてきた。
学校での教育そのものが図らずも今日のラジオ体操の現場に具象化した。
わたしに類した骨のある子がいないか周囲を見渡したがいなかった。
木陰で雨宿りする子供たちに無言の教訓を授けたかった。
おのれの思うこと信ずることに忠実たれ他人は他人、おのれはおのれと云う強固なる信念を持て!
しかし、考えて見れば此処にこそ、「いじめ」の構図とか元凶とか温床そのものが隠されているのでしょう。
突出した行為はみなから敲かれ潰されてしまう運命を宿す。
悲しいかな、更なる邪推が拡大する。
もしや小雨の中続行すれば“これ体罰に等しい”と苦情百出の場面もあり得よう。
今日の監督責任者が逸早く中断を決意なされたことも英断であったのかも知れない。
寂しく情けない日本国になってしまったものだ。
アベノミクスで浮かれるのも大いに結構だが、国家百年の計を党派を超えた人材と頭脳を集積して直ちに構築してほしい。
日本國の教育を真実再生するよう叡智を出し合ってほしい。
異常なのは気象だけではない。