「ぐいのみ」でちびりちびりは様にならない。
舐めるようにちびりちびりはやはり「お猪口」でしょう。
もはや、齢と共に「ぐいのみ」で一気に飲み干す気量は消え失せた。
ちびりちびりと嗜む程度の者には「ぐいのみ」は不要なのだが今回の陶芸教室の制作課題は「ぐいのみ」であるので仕様がない。
陶芸と云うが簡単に表現すれば粘土細工に他ならない。
粘土遊びのこころ積もりで右の手の親指の腹と人差し指中指の腹の部分で粘土を押しつぶす内にいつの間にかそれらしき姿かたちが形成されてゆくのです。
しめしめと思いつつ満更でもない気持ちで粘土を捏ねていたら「あなたのそれはお猪口ですよ。ぐいのみはもっと大胆に大きく作りなさい」と鋭きご指摘を頂戴す。
その折に、わたしの「ぐいのみ」はこの程度で十分なのですよ。
往時のように大胆に一気に飲み干す酒量はもうとっくに峠を過ぎましたと声に出そうと思ったがバカバカしいので取り止めにした。
机間巡回される3人の指導員の先生方には素朴な疑問点を投げかけて教えを乞う事が叶うのでとても好都合だ。
今日の課題は「ぐいのみ」三盃でした。
そう云えば「駆け付け三盃」ということをよく聞いた。
と云うより、よく聞かされたことを思い返した。
此処最近は、お酒を嗜むマナーが随分と改善されたらしい。
もはや、「ぐいのみ」の出る幕が無くなったのかも知れません。
それにしても、満開の桜の樹の下に茣蓙を敷き「ぐいのみ」で一盃、いいですね。
三盃あるので三盃になりましょうか。
思い切りぐいとやりたいね。