表札の架け替えをせねばならない理由はどこにもない。
ただ先日、「ムサシ」へ弁柄を求めて出向いた折りに店内で数多くの表札を目にした。
その折に、ふとなんとなく挑戦するのも面白かろうと思い付いまでだ。
厚さ2センチばかりのタタラ板を適当な方形に切って先ずは我が姓名を取り囲む外堀を彫った。
各種各様な書体の中から此れと思しき隷書体と定め毛筆で和紙の上にしたため其れを粘土板に乗せて鉛筆でなどり縁取りをほどこしました。
あとはその輪郭に沿って慎重にしかも大胆に彫り込んで行くばかりなのです。
遣って見て初めて判ったことだが殊の外体力と忍耐心何よりも相当高度な集中心がなければ成り立たないことをうかがい知ったのです。
気障っぽい言い方だが根気とチャレンジ心の世界であることを知ったのです。
先般は敢え無く挫折の憂目を見た弓の世界での出来事の再来だけは何としても避けねばなるまい。
本来なら、この様な打ち沈むかのような掘り込み式表札ではなく自分の名声が浮き立つように文字の部分を隆々と盛り上げて然るべきであったでありましょう。
しかし、此のわたくしにはもはやその必要はない。
深く静かに潜行した方が心身が安まることだし此の上なく相応しいのです。
筆体は途切れ途切れでバラバラだが離れて見れば我が一族一体として捉えられればそれで了と致さねばなりますまい。
先祖由緒一類附帳共々此の陶製表札は末永く永久保存いたさねばならない。
嘘偽りなき我が願望なのです。