棗 (なつめ)を云々する柄にはない。
そもそも茶道を知らない。
茶器の様な品には安っぽい茶筅と手作りの茶碗は所持するがだいいち使ったことがない。
そんなものが棗を云々しても始まらぬ、笑い種にしかならぬだろう。
道理に合わぬことをしたものだ。
ならば、閻魔さんへの手土産にでもすればいい。
でも、作るからには大王さんに失礼にならぬよう精魂を込める。
蓋が閉まらねば話にならないのでサンドペーパーを駆使して研磨の作業に明け暮れするのです。
おいそれとは行かない、厚さ加減を按配しながら気長に粘り強く来る日も来る日も磨いた。
本体の立ち上がり部分の外壁と蓋の部分の内壁をバランスよく擦り落とす。
物凄く手間暇が掛かったが厭わず根気強く磨き続けた甲斐あってようやくぴったり閉まった。
達成感を味わった。
「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の成さぬなりけり」の名言通りでした。
また、「割れ鍋に綴じ蓋」の例え通り我が家での家内との間柄もその通りであることに今ようやく気付いた次第だ。