剣道はすごいぞ≪15≫

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『剣道はすごいぞ』


   ―伝統と文化を大切にしてよりよい日本国をめざそうー


 


2007年に著わしたので文字通り10年一昔と相成る。


だから、随分と古臭い記述に今以って拘っていることになる。


でも、武道としての剣道の良さは質量ともに今も昔もなにら変わりはない。


その剣道の良さに今以って関わりを持っていられる自分自身の幸せをつくづく思ふ。


 


「無理が通れば道理が引っ込む」ような無茶苦茶な世の中になってしまったが唯普遍なるは剣道の神髄だと固く信じる。


 


 


 


 


 


よりよい剣道をめざして


 


無礼なる 打ち許されず 堂々と


 勝つために努力することと、勝つためには何をしても良い、とにかく勝てばいいというのとはまったく違う。


 本当の剣道は真剣勝負なのだから、卑怯な手段で勝てば相手に失礼なのです。


相手の命を奪うのに卑怯も卑怯でないもないのだというのは無法者ややくざのケンカの殴り合いならいざ知らず剣道の勝負では絶対にあってはならないことだし絶対にあり得ないことだと思う。


 そこのところをよく分からないまま剣道をしている人たちが意外と多いのではなかろうか。


それも高段者といわれる人たちの中にさえである。


捨て身の相討ち面と三所隠しと称するヒッカブリ面とを比べてみるまでもないことです。


自分だけ身の安全を図り防禦の姿勢を取って何が何でも勝たねばならぬ魂胆がそもそも武道精神からみて深みのない皮相的現象のように思えてならない。


正々堂々と逃げ隠れすることなく命を顧みることもなく相討ちの技に徹する剣道を志してこそ日本剣道の生き残る道だと確信したいのです。


本当に真剣勝負をすれば相手も自分と同じ生々しい生命を体に宿す同じ存在であることに気付き、相手を見縊ったりなめてみたり小馬鹿にしてみたり見下したり軽蔑したりは出来っこないのだと思う。


人間として出来ないはずです。


失礼なのです。


人間として恥ずかしいことではなかろうか。


益してやいわんや、勝者が得々と自慢顔をしてみたり自慢げに振舞うなんて余りも愚か過ぎはしまいか。


かつて横綱朝青龍関の土俵上でのガッツポーズのしぐさが世間のひんしゅくを買い協会より大目玉を食らった記憶も新しいのである。


剣道をする人たちまでも、今の日本の国の格差社会を認めて同じようなことをしてしまったら大変です。


元も子もなくしてしまいます。


また、どちらかというとテレビやラジオや新聞、雑誌などのマスメデアはこの格差社会を是認し無批判的にむしろ勝ち組に群がってはやし立て、一方負け組みを蔑視し冷たく蹴落とすような報道しかしない。


今日の地方紙朝刊のトップ記事に「医療費未払い急増―低所得者のモラル低下原因」と大きな活字で大見出しにされていた。


紙面の良識を疑うと同時にこの冷淡さに義憤を覚えるのである。


今日もまた悲惨な事件が必然的に起きるのである。


起こらざるを得ないのである。


いや、起こるべくして起こっているのです。


かの孟子がいった。
「惻隠の情無き者は人にはあらず、惻隠の心は仁の端なり」といった。


戦いで勝利を修めた強き者はあえなく敗れ去った弱き者を思いやって、あたかも自分のことのように心を痛め、相手をいたわしく哀憐の情を表わさなければならない。 
人が守らねばならぬ仁の基本であると儒教の教えを吾らに諭して呉れているように思えるのです。