『剣道はすごいぞ』
―伝統と文化を大切にしてよりよい日本国をめざそうー
十年一昔と云う、身の程知らずの稚拙さに穴が在れば身を隠したい。
また今日の剣道界に何をこそ辛口進言があろうことか。
興味は尽きない。
本当の負け犬にならぬために
その三・・・相討ちは 肉を切らせて 骨を切る
打たれたくない負けたくない、死にたくないという捉われの心を仏教の世界では“煩悩”と云うらしい。
この煩悩から逃れ出るために座禅を組んだり厳しい稽古で修行を重ねるわけだが、最も手っ取り早い方法は、相手よりも先に死ぬ覚悟を固めて捨て身の相討ちへ持っていくことは先回申し述べた通りになる。
しかし、不幸にして相手に先を取られて打たれたにしろ、皮を切らせて肉を切る。肉を切らせて骨を切り、骨を切らせて相手の髄をも切り離す激しい気迫で追い打ちを敢行せねばならない。
此のおのれの命を賭けて、死ぬることを前提にした凄絶なる敢闘精神こそがわれら下手糞組みには絶対に必要ではなかろうか。
日日の稽古でもついつい惰性に陥りやすく、その都度この敢戦の気を蘇らせおのれを厳しく鼓舞しなければならない。
竹刀剣道においても十分なる気力の充実は可能なことだし、否むしろ竹刀剣道なるがこそこの厭戦の気を戒めねばならない。
先に打たれても打った相手の心胆を揺れ動かすような感動的な打突を心掛けねばならない。
山田次郎吉先生が語る竹刀振りの熟練工のササラ踊りでは、人を感動させる打突はやはり出せないと思う。
立合いにおける感動的勝利の場面よりも、その敗者の息を呑むような感動的でしかも人間的な立ち振舞いの中にこそ、より大事なものが秘めれてはいはしまいか。
高見盛関の相撲観はまさにこれを地で行く名力士なのである。
大森曹玄禅師の《剣と禅》の中に次のような記述がある。
三島由紀夫が割腹自殺を計った昭和四十五年十一月二十五日の十ヵ月前の同年一月二十日の読売新聞朝刊に次のような記事を投稿したのだという。
しかし、GHQは極端にあの凄まじい懸声を恐れ厳しく禁じたのだという。
あれはただ単なる掛け声ではなく、日本人の魂の叫びであったからだいう。
アメリカ人は戦争中を髣髴させ、これを恐れその叫びの伝播と、その叫びの触発するものを恐れたのだと記している。
剣の道は偉丈夫つまり益荒男にかかわる事であり、アメリカ占領軍はこの剣の道から偉丈夫の魂つまり大和魂を抜いてしまおうと試みたのかも知れないが、抜かれる先に自らその魂を放棄したのは日本剣道の当事者たちに他ならないと辛辣に皮肉るのです。
つまり、三島はわれらの剣の道のキン玉がマッカーサーにより引き抜かれる以前にすでに日本剣道は自ら去勢同然の恥ずかしい様に落ちぶれているではないかと言い切ったのである。
“ササラ踊り”に三島は共鳴して相槌を打ったことになる。
楯の会の檄文によれば彼は極右思想に凝り固まった偏狭なナショナリストには違いはないが、この人の至純な心で捉えた当時の国情は一面では良識あるリベラリストたちの良心に映ったそれとはそんなに大差はなかったのではなかろうか。
共に憂国の士として日本国の将来に篤い想いを馳せていたはずです。
ただ、彼には妥協しがたい余りにも強烈な自己主張があった。
この人とこの人の特異な思想の媒体を成したのが自衛隊そのものであった。
自衛隊を介してこの人の分別が形成されたが決して中庸を取ることはなかったし、剣の極意である中墨を取ることもなかった。従って自ら命を落とし自刃し果てた。
言うまでもなく、三島由紀夫は護憲論者と対峙し見事相討ちにて果てた。
また、彼は真の武士の魂であり偉丈夫の魂でもある大和魂と激しく相討ちとなりキリング イーチアナザーし共に倒れた。
やがて、一気に燃え上がるのをただただ傍観するのみか。
骨を切り髄まで切り裂くときには形容しがたき壮絶な雄叫びを発するのだろう。
直心影流の法定の形を演ずる時の腹の底から吐き出す凄まじい懸声にも相通ずるのである。
おのれの勇猛心を鼓舞し相手の戦意を威圧するためだけの単なる発声ではなく、相手の敢闘精神を称賛し共に戦った誇り高いもののふの自尊心を賛美し何よりも相手の健闘に哀悼の意を表す意味合いをも併せ持つ大和魂の熱き血潮の一気なる噴出に他ならず、実に悲壮なる一喝の響きなのである。
アメリカ人ならずとも度肝を抜かれ仰天し果て、ここに至りて真の日本剣道の復活ののろしが遂に上がったと勘ぐられるほどの気合と至誠天に通ずる懸声がそこにあった。
その懸声がアメリカ人を震撼させたのだ。
従って、まったく埒のあかない木偶の坊のようなわれらには、やはりこの懸声に寸分たりとも近づいて骨をも切り裂く打突が出来るように心がけ一生懸命に発声練習に力を入れねばならないと思う。
三つ目の旗門はこのことになる。