老いのひとこと

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鶴来の武道館の道場に掲げられる道場訓は空手家中山正敏氏の手によるものなのです。
 空手道とて日本武道の一つとして立派に君臨している。
 何ら遜色ない存在だし況してや此処鶴来近郷には空手愛好家が大勢いられて空手盛況の地と聞く。
 それ故に何ら不思議はないし何ら異議を唱えるつもりも毛頭ない。
 だた、此の道場はれっきとした剣道場の造りでもある。
 わたしは、中山正敏氏は同姓の中山博道と同じく武道の縁で何かしら血統上繫がりがあろうことかと推測致しました。
 調べてみれば、正敏氏は長州出身の方で金沢出身の博道とはどうも繋がりはなさそうなのです。
 それならば、此の正敏氏の道場訓に並べて博道のものが掲げられていても不自然ではない。
 十分に均衡が保てそうに独り善がりな判断をしてみた次第なのです。
 
 成るほど、中山博道には道場訓に値するような名言とか箴言の類いを後世に残してはいないのだと聞く。
しかし、よく調べてみれば富山県居合道愛好者たちがつくる無涯熟の資料に恰好のものを見出したのです。
 『剣上達の秘訣』と『剣道十二条・中山博道範士』で前者は居合道、後者は剣道の心得であって素晴らしい金言が散りばめられていたのです。
 ひとつ文案を練りあげて、然るべき人物に具申致そうと思い付いたのです。
 ところが、此の縁も所縁もなさそうなお二人ではあるがこの両者を取り持つ意外な人物に出会ったのでした。
 それは、外でもない三島由紀夫に他ならなかったのです。
 御両人を繋ぐ仲介役を三島由紀夫が果たしたとはこれ大した驚きでした。
 三島事件2か月前に日本教文社が「尚武のこころ」と云う三島由紀夫の対談集を出した。
 その中で三島は空手家中山正敏を相手として空手道を論評し合う間柄であったのです。
 三島由紀夫は剣道のみならず居合道にもご執心であったという。
 長谷川英信流の中に入門編として大森流がある。
 三島由紀夫は此の大森流居合を中山博道の門弟の方から学ばれたらしい。
 つまり、三島は博道の孫弟子の間柄と相成る。
 正敏と博道の間に三島由紀夫が介在したことになる。
 だから、此の道場に二つの道場訓があっても決して不自然ではない。
 
 なお、蛇足ながらこの大森流の7本目に介錯がある。
 平生は余り稽古の場面がないのでとても難しくしくじる事も多々あったらしい。
 しくじった際は逸早く打ち落とすべしとの教えがあるらしいが森田必勝はそれすらしくじってしまったらしい。
 さぞかし、慚愧に堪えない無上の無念さを味わってあろう。