老いのひとこと

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いつものコース、額四峠わきの歩道を銀輪を走らす。


上りきれば緩い下り坂、いくら緩くても結構速い適当にブレーキ操作をしなければ危うかろう。


下りの途中に交差点があり青信号ならそのままの惰性でさらに下り間もなく歩行者専用の小さな信号機に出会うのです。


その小さな信号機の物陰にガラス瓶に生けられる花束をよく見掛けるのです。


いや、其処には必ずや真新しい生花が手向けられているのです。


恐らくはご近所での痛ましい事故を弔ってのことでありましょう。


ご家族なら当たり前かも知れぬがとてもご殊勝な行いに頭が下がる。


或る日、幼子の手をひく若きお母さんにそれとなく尋ねてみたが存じ上げませんと返答なされた。


遂先達てのこと今度は学校帰りの女高生に何か経緯など知ってるかと聞けば快く応じてくれたのです。


彼女は急き込むように真剣な眼差しで答えて呉れたのです。


もう一年近く経っているという。


深夜の頃に若き男性ドライバーが右カーブを見損なったのか直線道路と勘違いし信号を支える電柱に諸に激突してしまったのだというのです。


此の花瓶のお花は故人の若き奥様なのだという。


健気な奥様の行為を此の女子高生は心地よく気高く評価しているようにわたしには覗えた。


人知れず小松地内よりお花を持参なされる美しいお姿に彼女は深い感銘を頂いたのだろうとお察しした。


それを聞いてわたしも深い感銘を貰い受けたのです。          合掌


 
鵜の目鷹の目になったのでゃない。
ただ興味本位にじゃじゃ馬感情を丸出しにしたものでは決してない。
此の一件をもって根掘り葉掘りしてルポルタージュする気なんて更々ない。
通りすがりに目にする光景にわたしは大きな納得感をいただいただけなのです。