老いのひとこと

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無断掲載



今回の教養講座は曹洞宗の若き学僧のようなお坊様のお話でした。


学卒後永平寺に籠もり厳しい修行を積まれたらしくお話の節々にはアカデミックな余韻が伝わる。


尤も、十人余りの聴衆のレベルに合わせ極力噛み砕いた平易な題材でお話されるので其の心遣いが何となく此方にも伝わってきた。


色んなことを幅広く捉えて話され些か総花的な嫌いが無きにしも在らずと思えたがお話の中に登場した二宮金次郎銅像のお話が特出して面白かった。


何処の小学校の校庭にもあったその銅像が時代と共に姿を消してしまったと云う。


在るにしても立像でなく座像に代わったと云う。


子供の道徳教育上、立ち読みはよろしくないので座らせたと云うのでしょう。


所謂モンペアの威力なのでしょうか。


また日教組の威力たるや最早消滅したも同然ではありませんか。


それなのに一体何がもとでそうさせるのでしょうか。


 


勤勉とか質素倹約の徳目はもう通用しなくても構わない日本国に生まれ変わったのでしょうか。


 


国定教科書で修身を教え込んだ、教え込まれた時代から教科書検定で定められた教科書で教科化された道徳を学ぶ時代へと変化した。


恐らく此の両者間には目に見えない不気味な地下茎が埋もれているのでしょう。


 


 


それにしても時代の変化の中で何ゆえ二宮尊徳像が消滅の危機にあるのでしょうか。


仏教的見地でその要因は何だったのでしょうか。


また此の両者の相関関係を知りたい。


禅宗のお坊さんの立場からそんな絡繰りをお話ししてほしかった。


 


此の度就任した新しい文相の下では或いは此の像が復活の兆しをみせるのかも知れない。