老いのひとこと

イメージ 1




今日は孫の成人式です天候にも恵まれ晴れ着姿が一層際立つではありませんか。


じいちゃんばあちゃんにも一言挨拶しようとわざわざ立ち寄って呉れました。


わたしもあとを追いかけるように会場へと急ぎ一番後ろの末席に座らせていただいたのです。


 


我が身自身の成人式は跡形もなく忘れ去り、三人の息子の分は一切家内にお任せし振り向きすらしなかった薄情なる親父です。


ところが孫にはそうとはいかない。


何かしら罪悪感が伴なう程にわが身がわが身を急き立てる。


何かしらこれが最後の祭りごとのように思えて自然と体が動いてしまうのです。


明るく祝福する想いを抱きながらの臨席でした。


入れ替わり立ち替わり式辞や祝辞が繰り出されるが会場はしーんと水を打ったような静けさで此の時代の若者たちの品行方正さには舌を巻く。


餞の言葉にはみな決まり常套句が並べられるが私語はもとより咳払い一つない。


これには感心するしかない。


お話のなかに本庶先生の金言を織り交ぜた言葉が在ってとてもよかった。


また、別の御方は単刀直入にしかも簡潔に「君たちを育んで呉れた此の地域は何時までも変わらず君たちに寄り添っていますよ」と結ばれたのは印象深かった。


ところが「我が国を取り巻く情勢が緊迫度が益すなか君たちも国防意識を新たにしてほしい」との下りには些か場違いに思えてならなかった。


大人たちから上から只一方的に与えられた受け身の行事としてではなく、若人たちの門出を祝うに相応しい式典運営を主体性を持って能動的に捉えもっともっと前面に躍り出ても好かったのではなかろうかと思った。