老いのひとこと

イメージ 1




大昔の現職時代には日々Yシャツに身を包み仕事した。


秒針と格闘する想いで身支度したはずだ。


釦を閉めるのも仕事の内と自ずと早業が身に付いたのでしょう。


何の苦も無く当たり前の動作であったはずだ。


 


ところがどうしたことか齢も八十路を過ぎるとこれがままならない。


確かにむかしのようには動かない焦れったいほどノロマになったものだ。


手や足のみならず指先までもが鈍臭くなってしまった。


取り分け袖釦で難儀する。


朝方の寒気は身を刺すがかじかむほどではない。


脳からの指令が指先に伝わらない困ったものです。


おのれにおのれがセイモンデモ仕方がない労わってやるしかなかろう。


そんなおのれと意気投合しこころ穏やかにお付き合いしなければならないのです。


 


 


 


偶々新田次郎の作品、青森歩兵五聯隊総員210名の遭難記を読む。


極寒の八甲田山中に彷徨し兵士たちが小用に失敗し命を落として行く場面が繰り返し繰り返し描写される。


此の釦の漢字を幾度となく目にしたのです。


高がボタン然れどぼたんと云えまいか。