2022-12-25 老いのひとこと 無断掲載 石踏みの修行道場の直ぐ近くに真宗大谷派の超願寺と云う洋館建てのお寺さんがある。 その寺の掲示板にとても面白い文言を見付けた。 【努力と云うのは実は他力の計らいだ】とある。 つくづく眺めるにつれ成る程と頷くのです。 おのれ自身が艱難辛苦に耐え抜いて氷雨の中素足の草履履きで石踏み修行へ日参いたすのは此れ飽くまでも「自力」と認識すれど其れは「自力」に非ずして「他力」であると云う教義には少なからず興味を引いた。 足裏の激痛に耐えるのも此れ「自力」の所為ではなく「他力」であると云う。 しかし阿弥陀様のお力のお蔭で馬鹿げた石踏み修行に御身が耐え抜いているのとは全く以って腑に落ちない。 予てより偽善的な禅修行に没頭する御身を了として来ただけに此の文言にはどうしても納得いきかねる次第なのだ。 其の内「他力」のお蔭であることに気付く日もあろうことよ。