老いのひとこと

家内が81歳になった。

いざなぎ景気の真っ只中、昭和40年1965年に平和町のアパートで世帯を持って早や58年の歳月が流れた。

その間、三人の息子に恵まれ夫々嫁さんにも恵まれ孫たちに恵まれたが思い返せば紆余曲折の人生の荒波を共に凌いできたものだとこもごも回顧いたすのです。

平成12年2000年には大腸がんの死の苦境から奇跡的に脱却し九死に一生を得た。

また遂先年には急性リュウマチの病魔に襲われたがステロイド治療の薬効あって見事に全快した。

 

掃除洗濯に炊事賄いの家事一切、時折文句を垂れながらも健気に熟して呉れる。

依って我が余生が滞りなく享受できるのも家内が居てからのこその恩恵を賜りつづけ居る次第なのだ。

 

関白宣言の歌詞にある「俺より先に死んではいけない」

のフレーズの通りそう在りたい、また在らねばならないとおのれに言い聞かせるのです。

 

 

 

大坂の孫たちからはお手紙に添えてまるで王冠のような鉛筆立てや秋の夜空に金星を散りばめたような七宝焼きのお皿や半切り用紙に大書した蘭亭序の名品が届いた。

家内は嬉しそうに眼を細めつくづく眺めているのです。