老いぼれへぼ剣士の夕雲考《41》

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大拙館の猪谷学芸員は”・・寥寥たる天地の間 独り立ちて・・・”とは関わりないと解説なられた。マサチューセッツ州クレーンビーチにて秘書岡村美穂子さん撮影
 
 
鈴木大拙が、欧米の人たちに禅を説く上で何ゆえ無住心剣に云う「相抜け」の技が必要だったのか。
この事と、「霊性の自覚」、「即非の論理」とがどのようにして関わっているのか。
更には、「貧の極意」、「貧の平和」ともどのようにして連なっているのか、この核心の部分には触れることすら敵わなかった。
あまりも非力ゆえに遠く及ばなかった。
 
古びた昔の辞書を見つけたので一文字一単語と格闘しながら老師の英文原書を紐解かねばならない。
牛歩のごとき歩みであれ、今からでも遅くない。おのれの余生に鞭打ちながら、片意地を張らねばなるまい。
あっ、そうだ孫が手伝ってくれるかもしれないぞ。
 
 

まとめ(5)=その2
 
 
⑧ 稚拙なる読解力の主が、軽はずみなおもんぱかりで「貧の極意」と「貧の平和」の触りの部分を引用してしまったのです。
「禅」と『相抜け』を結び付ける為に「貧の極意」と「貧の平和」の論理を用いた。
わたしだけの、まったく恣意的な試みに過ぎない。
人さまより如何様の咎めたてを受けてもしようがない。