うらなりの記《59》

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しげばあさん
 
母としとの死別が二十歳で、菊水分校に世話になったのは二十三歳から五歳までの三年間であった。
母を恋うる女々しさを宿す歳でもなかろうに、よく重ばあさんを慕うたものだ。
 あたかも、我が家に帰ったように肩の荷を下ろした。
重いリュックを下ろしながら、“また来たワー”とドアをノックした
 いたわりとねぎらいの籠もった優しく暖かい重ばあさんの声が何とも堪らなかった。瞬時に疲れが癒えた。
 
その五 母とし(14)
 
村本家の人たち=その3
 
 一週間の分校勤務を終えた週末にはアパートへ顔を出し重ばーさんからの心からのもてなしを甘受したのだった。
 重ばーさんと共にした癒しの時間と空間は何物にも代えがたき貴重な生きるための糧に他ならなかった。
 祖母重の訃報に接した折に、たまたま大徳の自動車運転教習所で普通免許の試験中であったことを鮮明に思い出すのである。昭和四二年のことであった。