うらなりの記《58》

イメージ 1
 
 
二男が保育所の階段から飛び降り腕を骨折した折に、叔母からの“マアちゃんの息子にしたら上出来ですよ。元気な子でよかったね”この言葉を思い出す。
折れた骨を針金で繋ぐ外科的処置も完璧に施して呉れていたので、わたしからは何も言えなかった。
むしろ、迷惑をかけて申し訳ないとただひたすら頭を下げたはずだ。それくらい叔母を信頼していた。
当時には、未だモンスター如き妖怪はどこにも存在しなかったことになる。
 
その五 母とし(13)
 
村本家の人たち=その2 
 
叔母は市立の保育所に勤務し長年に亘り所長職を全うした功績を買われ姉妹都市イルクーツク市へ親善を兼ねた視察旅行に赴いている。
我が実子たちも、八日市保育所にて直々の世話になっている。
 村本家を相続した立場上三枝は母重の扶養が義務付けられ、戦後は 平和町 の県営アパートにて居住を共にした。