老いぼれへぼ教師の回想記《62》

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内灘砂丘の一角でションベンをひっかけてきたようなものだ。
もっとも、瞬時にして大地に吸い込まれ、時は流れた。
その間、日本海に押し寄せる怒涛の荒波に翻弄させ身も心も千ぢに砕けた。
雄々しくおのれ自身に挑戦し、幾つかの試練に耐え抜いたが、遂に刀折れ矢尽きてしまった。
決して、我が人生に箔がつくことはなかったが、へんてこりんなワビとサビがついたと自負するところである。
 
 
その五  挑戦と試練挫折の河北台(10)
 
士族の商法=その10 
 
 第一学年の商業一般と計算実務つまり珠算に他ならない。二学年は商事、そして三学年では経営と商業実践を担当した。三カ年間に亘り担当教科はほぼ固定していた。勿論、商業実践ではアシスタント的存在で決して表に出る場面こそなかったにしろ二時限繋ぎの一〇〇分間は長かった。実に不甲斐なき次第ながら小心翼翼とした心境で戦々恐々と只時の経過に身を任せるのみであった。時計の針が恨めしくも感じた。
 いつ何時馬脚を現わさんとも限らず、情けないことに生きた心地がしなかったことを思い出す。優秀な女子生徒の中には薄々気付いているのか矛先をもろに向けるようなことはなかった。
気立ての優しい慎み深い淑女がいたことを何より証拠立てるできごとなのである。
 敢えて挑戦を決意し三か年の間わが身に試練の場を課したが、刀折れ矢尽きて敢え無く敗退已むなしの痛恨の念とその後からじんわりと挫折感が追撃ちをかけてきたのである。「武士の商法」よろしく自滅し自壊し果てた。
 島田裕正,番田穣、中村成寿、小泉孝二他大勢の商業科担当の緒先生方に多大なる迷惑を掛けてしまった。取りも直さず、石川県立河北台商業高等学校に対し今改めて此処に謝意を表さねばなるまい。     
 私には《先先の先》を見抜く素養がなかったことになる。