剣道はすごいぞ≪5≫

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『剣道はすごいぞ』
   ―伝統と文化を大切にしてよりよい日本国をめざそうー
 
 
はじめに
 
勝利至上主義を信奉する体育部の指導教官が生徒に対し殴る蹴るのシゴキと称する体罰を加えたことが結果的に若き命まで奪ってしまった。
言語道断であり決して容認できようはずがない。
片や一方、万引き行為が習癖と化し度々の忠告を顧みず累犯を繰り返した我が子に対し父親は愛の鞭として容赦なき鉄拳制裁を加えた。
此れはわたし自身の実体験である。
殺気迫る父親のビンタの形相は今以って忘れることはない。
人の道を踏み外した悪行非行への対処法には体罰もこれまた止む無しと思う。
同じことが学校現場にも云えまいか。
人の道に反する悪行非行を繰り返さば最後の手段として教師はおのれの職を賭して愛の鉄拳制裁を決断し決行するも止む無しだと思う。
 ところがこれが敵わない。
人権擁護の美名の下に体罰を罪悪視するも分からぬではないが同時並行して此の世に悪行非行が醸し出さない世の仕組みを構築することもより一層急務だと思う。
真実住みよい世の中をつくることに国民一丸となるべきだと思う。
 
 
剣道本来の最も主眼とする敗者・弱者への優しき目配り気配りと暖かき心配りで、この殺伐とした今の世に何らかの形で寄与せねばならないと思ったのである。
その端緒を開き発端の槌音を高らかに響かせねばならない。
北野武さんだけに頼っていてはいけないとつくづく思った次第だ。
 
いじめの連鎖は依然として後を絶たない。
どうしたことか此のいじめの加害者にはまるで腫れ物に触るが如くに深く立ち入った論評はしないのである。
明らかに犯罪行為なのだから厳しく対処しなくてはならないと言明はするものの抽象的で具体性がない。
出校停止や出席停止は教師の本来の職務を放棄したも同然で正に論外である。
実に不思議な現象ではあるがこの国のマスメデイアから体罰という二文字が消え失せてしまった感を強める。
教育再生会議体罰容認論が少数意見としてあったらしいが『人権』の二文字の前に封殺されてしまったのだという。
何処(いずこ)かの熱血校長が子供をぶって打撲症を負わせたと報じていた。
ところが事もあろうに、この校長は行き過ぎた指導であったと保護者や関係筋に陳謝せざるを得なかったのだという。
不幸にして極端な教育不信、学校不信、教師不信に陥ってしまった一部の人たちは良識ある熱血教師の愛の鞭をも頭から全面的に否定し去り妥協する事無く、教師によるわが子への暴力行為でありいじめ行為以外の何物でもないと一方的に決め付け鋭く牙を剥くのである。
この毒牙に掛かった教師は誰にも増してまじめで几帳面であるが故に孤立し始め萎縮せざるを得なくなることだろう。
保護者からは噛み付かれ、多分上司も同僚も関わることを敬遠し、当然マスメデイアからも叩かれることと相成ろう。
不本意ながら陳謝せざるを得ないのである。
もともと校長たるものは子供を教育し指導する上での最高責任者であっておのれの信念に基づく確たる方針で事に当たればそれでよいのである。
子供を善導するため命懸けで教育に携わればそれでよいのである。
教師たるものすべからく熱血教師であらねばならないのである。
それにも拘らず何ゆえ持って社会に頭を下げねばないというのか。
これほど不条理なことはないのである。
斯くなる素晴らしき立派な校長が日本国に押し並べて広く流布すればいじめは一掃されること間違いなしなのです。
荒廃する教育現場の救済に寄与し、その一助となるのは間違いないことなのです。