老いぼれの独り言

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新型車両「W7系」が金沢駅にデビューした日に、孫は午後3時27分「サンダーバード21」のデッキより降り立った。
颯爽とはいかないまでも日焼け顔を一層紅潮させて「こんにちは」のことばにわたしらはそれだけで大いに満足し安心も致した次第です。
口数は少なくてもいい、表情もそんなに豊かでなくてもいい兎に角自分の意思に基づき自分一人で2時間半の車中の人と成り得たことは褒めてやらねばならない。
翌朝には目覚めよろしくラジオ体操にも事無く参加できました。
処が、その日の夕方のこと普通なら小三の少年らしく自ら進み出てセミ獲りを催促して然るべきにもかからわず一向にその反応がない。
止む無く、こちらから誘い出てしまったがその理由付けがその直後に判明したのです。
アブラゼミの捕獲がぎこちなく下手糞なのだ、都会っ子なら仕様がない思いつつもどうもセミを手にすること自体を拒むのです。
恐いから嫌だという。
極端すぎる拒否反応を示すのです。
これは、都会っ子だけの理由では済まされない異常さがある。
頑なに拒み続けるわが孫クンの病的嫌悪感を払拭いたさねばならんと云う好からぬ使命感がむくむくと生じてきた。
金沢滞在中に体現させてやりたい。
平気でセミ獲りができるように仕向けてやりたいと心から望んだ。
そのための手段として、決して強要はしないが自由研究のテーマを「アブラゼミ」にしてみる。
この「アブラセミ」のことをいろいろ調べてみて本当に怖いセミかどうかを自分なりに考えて結論を出してみる。
読書感想文を書くために昆虫大好き先生ファーブルの昆虫記=アブラゼミの巻を読んでみる。
そして、本当に怖いセミなのか本当は怖くないセミなのか自分なりに感想文にしてまとめてみる。
しかし、大人の魂胆丸見えの此の作戦はどうも孫には見破られてしまったようだ。
事もなく無難に受け入れられる気配がなかったような気がする。
やはり、子と違い孫には格段の気を遣うのです。
仕切り線を跨いでの攻防はなかなかままならないのですよ。
二日目のラジオ体操、今事もなく終了。