老いのひとこと

イメージ 1




生身の人間だから怪我もしよう、失敗も仕出かしましょう。


 予期しない失策に泣かされたり地団駄を踏まされたりしたものです。


 地稽古の最中、巻き技を喰らい我が竹刀が天井へ舞い上がってしまった苦い経験がある。


 手の内の甘さを見透かされて強烈に叩き落されたこともあった。


 云うに言われぬ屈辱感を味わうものなのです。


 


 試合中の「竹刀落とし」なら反則だけで済むかもしれぬが昔ならばこれにて勝負ありで一命を失い一生の不覚をみることになりましょう。


 


 


弓をやっていても弦が切れたり番えた矢を落としてみたり、下手をすれば弓まで落としてしまうヘマを時折仕出かすのです。


一度、此の失策を為せば最早弓は武具・武器としての機能を失い即討ち死に直結いたしましょう。


命取りのしくじりを未然に防がんが為に入念な手入れや点検をもののふ達は相務めたのでありましょう。


先日の事、偶々兼六園道場に顔を出せば折り良く


此の『失』の対処法に関する講習会に出くわし非常にラッキーだったのです。


 普段の道場ならいざ知らず、畏まった審査の最中に矢こぼれ(筈こぼれ)を仕出かせば狼狽えるばかりでとんでもない醜態を演ずることになる。


 前以ての予備知識や応急の対処法を会得しておれば何となく心丈夫なのです。


「失意泰然」という言葉があります。


失態を演じ失意のどん底にあっても慌てることなく悠然と泰然と身を処すことの大切さを説いている。


 或る意味、此の「失」の対処にも合致するのだが但し余りにも泰然と為す事は許されず極力速やかに処して周囲には恐縮の意を恭しく体で以って示さねばなりません。


 小笠原礼法に深く根拠を置く弓の世界ゆえ「失」の失敗があっても礼法に叶った適切な処理を施せば決して失点にはならない奥深い包容力を宿すことを理解した。


 弓の世界は確かに限りなく深遠なのです。