老いのひとこと

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鶴来日曜会道場でご一緒するY氏とは稽古の先に


毎回その都度「剣道形」を打つことを慣わしとしている。


 昇段審査を前に付け焼き刃のように執り行うものではない。


 互いに真摯に奥義を極めんと真剣に取り組み励み合うのです。


 先日、そのY氏から僅かばかりの時間を割いて何か古流の組太刀をやってみないかと誘われたのです。


 それは興味ある提案であったのでつい法定の形はどうかと口を滑らせてしまった。


軽々と口にしたもののあれ以来随分と遠ざかり全くのブランク期間が長いので忘れたも同然ではないか。


当然ながら教える立場には毛頭ない。


斯くも烏滸がましき行為は許されるはずもない。


彼と共に文献資料を紐解きながら共助・共学の学習形態を模索いたさねばなりません。


通り一遍の形の仕種も大事だけどやはり法定の形の要諦はとても神聖であり神憑りな一面があって同じ敵を ( たお )すしても私情に基づくものは否定し去り飽くまでも天命から下りた使命に基づく大技なのだと山田次郎吉先生は諭していられるのです。


こせこせした小技ではなく宇宙の英気を呑みこむような途轍もなく雄大なる大技を共に学び合おうではないか。


此の学びの機会を与え給うた彼氏にわたしは感謝申さねばならない。


こう云う事態に至ったのも今から考えればつい先日のこと、新幹線に乗って高歩院を表敬訪問した其のご利益に違いあるまい。


数年前に桐田氏より拝借した文献資料が今再び陽の目を見て有効活用が適いそうです。


併せて、桐田氏にも深く感謝の意を表さねばなりません。