老いのひとこと

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そう云えばわたしにも60年前に成人式があったはずだがまったく記憶にない。


誰からも祝福された覚えもなくそもそも成人式に何らの価値も見い出すことはなかった。


また、三人の息子たちの成人式に際しても取り立てて格別な感慨もなく「おめでとう」の世辞すら贈った覚えは全く残っていない。


ところが、こと孫に対してはどうしたことか式場にまで足を運び祝意を顕わに致したのです。


初孫が今日成人式を迎え国際ホテルに参列するというので急遽わたしも目立たぬように末座に就かせて貰ったのです。


実を申せば一昨年のこと偶々町会の仕事を仰せ付かっ立場上校下の成人式に参列させていたたいたのです。


ですので、いやが上にもどうしても両者を対比せざるを得ない。


あの折は公民館館長が第一世界大戦開戦百周年の折り目の年に当たり諸君らは堂々と世界平和の維持発展に寄与いたし給えと檄を飛ばされた話を微動だにしない立派な姿勢で聞き入るようすがとても印象に残っている。


今回も押し並べて静粛に鎮座こそすれどやはり微かに私語が漏れ聞こえたことは否めない。


と云うのも弁士の方々はみな同じように決まり文句のような常套語を繰り返すだけなのでそりゃ聞く方も辟易致そうことよ。


只々、一方的に来賓のお話を聞かされるだけの受動的式典では成人になったばかりの彼らとてあまり意味がなさそうだ。


彼らの意中を掴んで離さないハッとするような心のトレモロを揺さぶるような言葉がなかったような気がしてならない。


唯一の救いは、司会を取り仕切った同世代の女の子が最後の最後に一言だけ大きな声を振り絞って是非とも投票権を有効に行使して頂きたいと訴えていた場面でした。


 


さて、コーヒでも飲み交わしながら孫に何をこそ話し掛ければよかろうぞ。