老いのひとこと

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古い背広の内ポケットに手を入れたらお札が一枚でてきたような変な気持に浸った。


今回の鶴寿園の宗教講座は願ってもない実に得難き御利益があったと云えまいか。


と云うよりも些かショッキングな衝撃を頂いたことにもなる。


浄土真宗の宋林寺の花山住職は自分のお祖父さんの話しから口火を切られた。


何といっても34名の戦犯死刑囚の死を見届けられた彼の花山信勝教誨師の実体験談だったので度肝を抜かれたのです。


手錠で両手を束縛されたまま処刑直前に自ら認めた絶筆の署名は乱れることなく堂々たる筆体であったのだと話された。


ただそれは墨汁ではなく青色インクで在ったのだと聞いて如何に過酷な状況下にあったにしろ彼の七名のA級戦犯たちの胸中は察するにあまりあるのである。


また、酒を振る舞ったが御神酒の調達が困難でアメリカ産のブドウ酒で間に合わせたも聞いた。


七名の胸中やこれまた如何ほどにあろうことか。


確たる神道信奉者たちも終には阿弥陀様に帰依し念仏を唱えながら逝ったとのことでした。


そして、その刑執行の日が奇しくも昭和23年12月23日であったのだとお話しなさる。


此の日にち設定の真相は愚鈍なるわたしは存じ上げてはいないが何らかの形で当事者の方々の意向や要望が若しや受け容れられたのでしょうか。


此の当事者の方々も建前上は己の信念を揺るがす言動は何が何でも避けたでしょうが内心の本音の部分にはやはり幾千万の人命を犠牲にした罪業に居た堪れず阿弥陀に縋り付き猶その上に現人神( あらひとがみ)たる皇室一家の後ろ盾をも強く強く追い求めたその何よりの証ではなかろうか。


 


彼の方々の口からは戦争の罪悪を悔い改むる言葉は口が腐っても云えっこない。


でも、此の神と仏の加護に寄り添った行動からは愚かなりし戦争否定の余韻しか伝わって来ない。


彼の方々とて二度と再び金輪際戦火を交えてはならないことを己たちの行動に顕わして後世の我等に強烈に訴え掛けているのではなかろうか。


わたくしにはそのように思えてならない。


 


何も解らぬものが偉そうなことを云ってはなりません。


罪深いことでしょう、愚かなことでもありましょう。


どうかお許しください。


 


今日の講話は背中が丸くなるどころか身の心も反り返ってしまいました。