老いぼれの夕雲考《124》

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夕雲流剣術書        小出切一雲 誌(50)


 


武士の恥とは何ぞや、当流では相討ちで逝っても恥ではない


 


 


【併當の敵に討れて其敵を逃すが、自然流矢にあたって獨死をせば、主君へは武士一人の損を取らせ、自己は平常の嗜を空しくして、屍の上にも遺恨は残すべき事なれば、相討は戰場にてさえ損は有べからず、主命の使者も、自己の命を捨てても主人の惡み深き罪人を討て捨るならば、殘念と云事はあるべかず、若し我は打たれて其場に死し、罪人をば取逃しなどして主人に憤りをせば武士一人の損を取らせ、己れは死恥をかきなどしたるには遥に増なるべし、喧嘩も相討は見よき聞よきもの也、或は人に切り殺され當の敵を逃し、近き親類の苦勞邪魔にして、漸く己れ死して後、親類の力を頼みて讐を報じてもらふ輩十に六七も有るもの也、此等は臆病と云、煩にては非らず無病なれども、不心掛にて、何時も自由になる物の樣に覺えて、大拍手に世の中を送る人に多くは有る者なり、先にてもあれ向ふたる敵は、夜の寐覺めの不慮にも、必ず其場に打止めて、我も打たるゝは、理の當然なれば、何を恨み何に念が殘らんや、更に武士の恥と云ふべき事は有べからず、


 


 


口語訳


 


しかし、その場に於いて相討ちにて敵に討たれ、しかもその敵を取り逃がしてしまったり、或いは流れ矢などに当たり独り死にした場合は、主君にとってはその武士一人だけの損失で済む訳なのです。


己は日頃のいろんな嗜みを空しゅうして屍と化してしまうのだから、それは遺恨の残ることには相違ないが、それでも相討ちは戦場では決して損なことではないし恥でもないことなのです。


主君から指図があれば、相討ちにて己の命を捨ててしまう覚悟で、主人の憎しみ深き罪人をば斬り伏せたのなら、仮に共倒れに終わったにしろ決して残念なことではないのであります。


若しや、我のみがその場で討ち死にし、罪人をば取り逃がす失態を演ずるとすれば正に死に恥を掻くこととなり、益々もって主人の怒りを買うことと相成りましょう。


喧嘩においても、相討ちは見好いものであり聞き善きものなのであります。


また、時と場合によっては、敵方に切り殺され、その当の敵に逃げられてしまう事態も起こり得ることなのです。


そうすれば、身内の者や親類の者に苦労を掛け、後々には親類の力を頼りに復讐のための仇討ちを返す輩は、十人のうち六乃至七人の割り合いでいるというのが現実なのであります。


でもこれらは、臆病というやまいや患いではなく、無病なのだけど常日頃より心構えが乏しく、何時でも何でも自由になると安易に捉えて、大まかに調子に乗って世の中を渡り歩いている、そのような人たちによく見られることなのであります。


前からでも後ろからでも、向かってきた敵に対しては、真夜中の寝覚めの不意討ちであっても、必ずやその場で撃ち止めねばならないのです。


但し、自分も撃たれることは理の当然なことになりましょう。


それ故に、何を恨み何に想いが残ろうことや。


更に言えば、武士の恥と言うべき事ではあってはならぬことなのでございます。