老いのひとこと

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よく解らないこと腑に落ちないことは多々ありましょう。


そんなこと此の世に生きている限り誰しも日常茶飯事に降り注ぎましょう。


でもその多くは軽く受け流し無意識的に捨て去られ自然消滅してゆくものなのです。


先日のこと稽古の後、いつものようにちょっとした剣道談議に花が咲いた。


その折に御指摘なされた御方の御忠告の言葉が耳に刺さったままどうしても離れようとしない。


どうしても腑に落ちなかったのです。


 


その時、わたしは即座に言い返したはずだ。


“先生はそうおっしゃるけれど小太刀は受けるのではなく受流すのではありませんか”と詰め寄ったがその高段者のお方は否小太刀は表鎬でしっかり受けて打太刀の正面へいくのだという。


しかも、しっかり受けるのしっかりをえらく強調なされたのです。


手の内柔軟に速やかに返し頭上にて左の鎬でしっかり受流すのならば解らぬでもない。


上段からの太刀の刀勢を受流さずして単に受けることは此れ剣の理法に適う事ではない。


手の内甘ければ跳ね飛ばされよう。


 


或いはちょっとした言葉の綾の食い違いかも知れない。


未だ補聴器のお世話には至らないが家内からはテレビの音声の事をよく云われるのです。


 


でも、此の些細なことに拘りを抱く生来の性根はどうも死ぬるまでわたしの身から離れることはないのかも知れない。