老いのひとこと

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齢のせいか大事なことをすぐに忘れてしまう。


忘れぬように詰まらぬことだがしたため置くことにした。


 


*今枝直恒の七男 今枝七郎兵衛直玄は利常の命に従い高源院(利家側室お存の子お福の戒名)の養子になり名を前田七郎兵衛直玄と改むる。


 


*直玄の子 前田五左衛門弘直が二代目を継ぐ。


 


*弘直の子 前田伊織が三代目を継ぐ。


 


*伊織の長男 前田四郎兵衛直行が四代目を継ぐ。


 


*伊織の三男 前田弥助直内が兄直行の養子に入り

五代目を継ぐ。


 


伊織の四男 前田両左衛門は遠藤与左衛門貫通 ( つらふさ )の養子に入り名を遠藤両左衛門直烈 ( なおやす )に改める。


 


遠藤両左衛門直烈は兄弥助直内の娘お定を


養女に迎える。


 


遠藤両左衛門直烈は玉ノ井家より数馬高璟 ( たかのり )


を養子に迎え入れる。


 


数馬高璟とお定との間に遠藤鉚が生まれる。


 


お鉚は津田清三郎近猶に嫁ぎ近吾が授かる


 


*弥助直内の子 前田五左衛門直救 ( なおすく )が六代目を継ぐ。


 


*直救の子 前田主馬玄前 ( はるさき )が七代目を継ぐ。


 


*主馬玄前の長男 前田主馬七郎直温 ( なおあつ )が八代目を継ぐ。


 


*直温の長男 前田肇が九代目を継ぐ?


 


直温の妻は阿部久米助の娘である。


 


主馬玄前の次男が前田友三郎


主馬玄前の三男が小塚友右衛門


主馬玄前の四男甚十郎は阿部久米助の養子になり阿


部甚十郎敬忠 ( よしただ )(碧海)を名乗る。


甚十郎は壮猶館にて西洋武術―砲術等を学ぶ。


甚十郎は長崎へ留学し英語や海外交易を学ぶ。


甚十郎は長崎の地にて佐賀藩との交友で有田焼を学


ぶ。


甚十郎は金沢に地にて九谷焼の振興に尽くし古寺町


に工房を開き海外交易に進出するも挫折する。


甚十郎は俳句や茶道にも長ずる大した人物であった。


 


此れわたしだけの掛買無きメモレンダムです。