老いのひとこと

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ウオーキングの疲れが癒えぬ間に人との約束事を二つばかりこなさなくてはなりません。


どんなに些細なことであれ約束は約束なのでたがえてはいけません。


持って生まれた律儀さは自慢ではないが親譲り、こればかりは反故にしたくない。


先ずは鶏小屋のご主人さんからサヤエンドウの苗を定植するが何分身体が不自由なので手伝ってほしいとの依頼を受けていた。


年齢が一回り以上大年増のわたしが農作業のお手伝いを施すなんて出来ようはずがない。


ただ云えることは、その御方にはこんなわたしでも何かと話し相手になろうかと思われたのでありましょう。


12km完歩の疲れが出たと言訳もできず重い足腰にムチ打った。


根っからの世話好きで話し好きな鶏小屋の御主人の


恩義に応えるためにも肥料をばら撒き腐葉土と混ぜて苗を埋め支柱の竹ザサを紐で固定しジョウロで水を撒いたのです。


 


 


そして、5時からはもう一つの約束が待っていた。


むかし同じ職場で世話になった先輩の御方とのお花見の約束です。


彼女はわたしより二つ年上だが長きに渡り膝を痛めてほとんど歩けない。


最後の見納めにしたいと車中からのお花見を所望されたを厭ですダメですと無碍に断るわけには行かないでしょう。


七瀬川沿いの散り初めし白木蓮並木を見てわたしによく似ているではないかと弱音を吐く。


そんな寂しいことは御法度ですよ、早く治してピンポンのラケットを再度交えましょうと激励したのです。


伏見川沿いの桜並木もぜひ見たいというので川沿いの道を最徐行したのです。


何かしらよい思い出があるらしく子供のように嬉々としてはしゃいでいられた。


此れも人助け何か役に立つのならわたしとて本望です。


疲労困憊の我が身体も少しばかりは癒されました。


斯くして週末のウオーキングデーは暮れゆくのです。