老いのひとこと

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いち年前の3月11日をひもとけばあの頃の感慨いまや枯れ細りわたしにはもうない。


わが精気の風化明らかなれど311の風化だけは此れ絶対にさせまじと非力ながらも微力を注がねばなりません。


 


あの日から早や7年が経った。


何方かが申された。


“事故から7年の過ぎたのに未だに事故は継続中なのだ”と申された。


はっと気付かされた。


気付かされたのはわたしだけではなかった。


 


恐らくはそうであろうかと存じ上げればあの陛下ご自身がそう在られたのではあるまいか。


なぜなら陛下の所望がなければ殊更危険個所にまで巡幸コースを設定する必要性が生ずるはずがない。


何らかの深い思い入れが在ったらこそ未だに避難される方々への面会が検討なされた。


 


浅はかな憶測は此れ禁物なれど何処となく陛下の立ち居振る舞いから我ら下々の者の目にはそう映っても仕方がない。


真意はともかく陛下が福島に関心を寄せられるお姿だけは国民の前に確と曝されたのです。


 


7年が経過しても今なお放射能事故は継続中なのです。


にも拘らずあちこちの原子炉に火が点る。


此の現実を前に遂に元総理小泉純一郎氏・細川護煕氏らが反旗を翻し狼煙を高々と掲げられた。


それに呼応して立憲民主の枝野幸男代表が党運を賭けて参入してきた。


各種市民団体はもとより共産・自由・社民の手も下支えすると云う。


しかし、ただ単に狼煙を上げ呪文を唱えるだけでは事が進むはずがない。


此の二本の旗は互いに鬩ぎ合い補完し合い終いには兼ね合いながら一本化された国民大運動へと錬り上がらねば意味がない。


其の為には遺漏なきよう詳細な精査と検証を重ねながら晴れて何時の日にか「原発なき日本国」へと到達させねばならないと思う。


さて、此のわたしに何が出来ようぞ。


 


7年目の311はそんな意味合いで非常に意義深い日になさねばならない。