老いのひとこと

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無断掲載


何せ知らないこと解からないことが多すぎる。


物識りなら尊敬されようが物知らずはひと様より軽蔑され疎んずられましょう。


ところが此のわたしは一向に構わない恥ずかしくも何も感じない。


常識を欠いても知ったか振りよりずっとましだ。


今回の講座は「一向一揆首魁( しゅかい) 山本家芸 ( いえのり )について」


副題―七日市藩祖の母於古和( おこわ)の事もー


ふり仮名を振っても解からない。


でも今日の講師の先生は実に音声明瞭に口調正しくお話なされたので助かったとても勉強になった。


そもそも一向一揆の指導者の一人に山本家芸( いえのり)なる人物が存在したことすら全く知らなかった。


生没不詳だが一揆のさ中は石浦砦(現石浦神社近辺)の砦主として柴田勝家や佐久間盛政には激しく抵抗したで在ろうがどちらかと云えば穏健派に属する家芸は前田利家とは抗戦好まずむしろ帰順してしまったのだという。


のみならず家芸は娘於古和( おこわ)を利家の側室に差し出し従属の意志を示したのだと云う。


そして於古和に授かった前田利孝は利家の五男として認知され「まつ」と共に人質として江戸に入り、後には群馬県の七日市に領地を貰い受け壱萬石の小藩ながら藩主に拝命されたと云う。


加賀藩支藩として七日市藩は明治維新まで存続し多くの逸材を輩出させたのだと云う。


 


また図らずも利家とまつの第一子「幸」が前田長種に嫁ぎ「亥」を授かり、此の「亥」が今枝直恒に嫁ぎ「直玄」を授かる。


又、利家の側室「存」の娘「福」=「高源院」の下へ「直玄」が婿入りし前田の姓を名乗るに至った事・・・


 


 


今日の先生の講義を受け賜わりながら不謹慎にもこのような遠大な歴史のロマンのパノラマ図を夢想いたした次第なのです。


 


何故かしら皆んなか細い糸で絡むように繋がり合う不思議な白昼夢を見た次第なのです。