老いぼれへぼ教師の回想記《14》

わたしの人生の成り立ち上関わり深い人物として末岡敬正氏を上げざるを得ない。忘れえぬ人物に他ならない。
既に、わたしのブログ四月十九日(火)号ならびに四月二十日(水)号にて
末岡敬正先生を偲んだ特集記事を掲げてある。
いろいろ御世話になりましてありがとうございました。あの世にて、真実切れる居合いをご披露いたしたく存じますので一つよろしく。また、キノコ狩り談義に花を咲かせましょう。



ベースキャンプ

 かつては石川郡の後谷と称し、金沢市編入した際は菊水町と改称されたが、この菊水なる地名はもはや地図上には存在しない。従って、菊水への基地として果たした野田町とりわけ末岡家との関わりは今ではもうない。当時は、藤棚があって大勢の老若男女が憩う癒しの場として提供されていた。茶店が繁盛した。
 その末岡家の御当主は既に亡くなられたが、我らが出立の折にはよく笑顔で見送られた。末岡敬正氏は当家の次男坊であられた。痩身痩躯なれども健脚の持ち主で野山を縦横に闊歩された。相当の酒豪でいられた。こよなく清酒を愛された。
昔のことに詳しく、とりわけ日本刀には造詣の深い人だった。本職の日本画に関わる力量は計り知る手立てはなかったが刀についての博識振りには舌を巻いた。
 私は氏より日本刀を二本格安で譲り受け、現在も大切に保管している。週に弐三回抜いている。精神の拠りどころを終生の友と出来たことに感謝せねばならぬ。
 いずれにしろ、今日の私の存在そのものに係わる人物には違いがない。山の幸、とりわけキノコ狩りへ同行できないのは残念なことである。
実はこの末岡敬正先生が健康を害され目下市民病院の病床に臥されていられる。一日も早い御快復を祈らざるを得ない。
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平成十九年(二〇〇七年)三月三日に先生は薬石の効なくご逝去された。永らく難病奇病の一つであるパーキンソン病を患われ、厳しい闘病の末他界されてしまった。
でも先生はまさしく能面打ちらしく、最期はおのれ自身が翁の面相で安らかに浄土へ旅立たれた。
私の人生形成に陰陽に亘り大きく寄与されし偉大なる人物に違いがない。ご冥福をお祈り申し上げます。