下手糞老いぼれ剣士の独り言

先日ある新聞で養老孟司先生は、人は誰でも修行を重ね最期にはあたかも自画像のような作品を残してあの世へ旅立つのだと言われていた。
人それぞれの人生に適った作品であり、それなりにみんな立派な作品に違いないのだとおっしゃる。
ただ修行といっても必ずしも滝に打たれたり断食したり座禅を組むだけではないといわれる。
少なくとも、修行によって金儲けという利得心を満足させたり、あるいは世のため人のためといって売名行為で功名心を満足させたりすることは許されることではないとも指摘される。
何はともあれ、修行は自分自身と静かに対峙し、自分を冷静に見つめ直し、自分を今まで以上に知り尽くすために自分を試してみたり、自分を励ましてみたり、自分を反省して見たり、時には新たに自分に挑戦してみたり、挫折し落胆し失敗し失望し、地団駄を踏んで悔しがり、怒り狂い自分自身を呪い尽くす。
とにかく、自分自身のために
     自分を苦しめ
     自分を虐げ、どことん
     自分を試してみる
此れが修行ではないかと養老先生の新聞記事を裏から透かして見ながら自分なりに考えて見た。

此処のところ、今年の夏は館内が使用不能なので芝生の上を走り、竹刀を振り、大地を踏み鳴らし大自然との一体感をしみじみ味わう。
地肌で地肌に接触する感触は朝露に濡れていてなんとも絶妙である。
時間に制約されることがないところが実にいい。