下手糞老いぼれ剣士の独り言

修行と菅さん

明治二十一年(1888年)に山岡鉄舟は五十三歳の生涯を終えた。
胃がんであったという。身の丈188センチ、体重105キロの巨漢であったという。
記録によれば、友と7升の酒を飲み干し、饅頭108個、卵97個を食らうほどの大酒豪で大食漢でもあったという。
胃がん発症の必要条件と十分条件を満たす。
恐らく胃がん特有の激痛に苛まれたことであろう。
往時の事とて、想像するに余りあるものがある。
発症後、流動食しか受け付けなくなってから六ヶ月の命であったという。
死期を悟った鉄舟は白装束に白扇を携え皇居に向きを変え座禅を組み鎮座したという。
其処へ見舞うた勝海舟が「・・・先生ご臨終でしょうか」と問うたのに鉄舟は「お出ましありがとう。ただいまより涅槃の境へ進むところでござる。」とにこやかな面立ちで・・・
勝海舟が「よろしく御成仏あられ」と席を立たれて間もなくして山岡鉄舟は絶命されたのだ言われる。
絶命後もなお、結跏趺坐のまま正座されていられたのだと言い伝えられる。
死への恐怖心と骨をも穿つ劇痛を顧みることなく武道と禅道と書の道の神髄を貫き通した天晴れなる御姿なのであります。
剣禅一如を地で行く一刀正傳無刀流の奥義は、
心でもって心を打つ 
こころで相手のこころを打つ
心が刀であり 
こころ以外に刀なるものはない

心を正し 身を修めること即ち修行を積み重ねることを本分としたのだという。

養老先生も人みな修行に励み己の自画像制作に勤しんでいるのだといわれた。

鉄舟の総ての修行を凝縮し集大成した実に潔き荘厳なる男の美学の終着点を、もっともっと日本人の魂の遺産として崇め立ててもよいではないか。

菅首相の見事なる引き際を日本国中固唾を呑んで見届けていますので一つどうぞよろしく。
その際には、日本人の魂をお忘れなきよう願います。