老いぼれ教師の回想記《111》

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その六  石垣の 陰に潜みし 将中や
 
礼に始まり礼に終わる=その4
 
 
武道必修が緒に就き将に定着せんとするが、日本の青少年たちに「武道精神」が芽吹いた兆しは未だ何処にも察知しない。
むしろ、「武道の心」とは相容れない全く正反対の「いじめ問題」がクローズアップされてしまった。
そうした中、いま安倍教育改革論が再燃せんとしている。
為政者の一つの理念に基づき国家の教育像が恰も粘土細工を捏ね上げるが如く形造られんとしているのです。
しかし、わたしはそんな仰々しいことよりも、此の将中の風土たる挨拶運動を培養することの方が単純明快だし第一予算計上もなく安上がりだと思うのです。
 
 人の世には様々な格差はあろう。其処から人が人を見る屈折した様々な感情が生ずることもわかる。
でも、わたしたちは単一民族の絆と連帯感で相手の立場を認め合うという簡単な所作を単純な挨拶運動を施し合うだけで随分と異なった校風作り、地域作り延いては日本国の再生が可能のように思えてならないのであるが如何なものでしょうか。
尤もらしく新教育基本法を全面的に駆使し愛国心を培う道徳教育を強要しなくてもごく自然に醸成されはしないだろうか。
 
将中生たちが編み出した小さな輪を大きな大輪へ育てる労苦を惜しんだわれら大人が御粗末だったとしか言いようがない。
取り分け人創りを本務としたわれらパブリックサーバントが職務怠慢であった。
教師たちは唯つまらぬ知識の切り売りと投売りに躍起となったに過ぎないではないか。
御身の保全と栄達に邁進しただけではなかったのか。