老いぼれのタイ行き

イメージ 1
 
タイ国ツアーに参加して=その7
 
この日ノイさんは、最大の観光スポットである虎寺は時間の都合で止む無く割愛され、質素に佇む一つの尼寺にわたしたちを案内して呉れた。
大自然に溶け込むように広大な寺領が漠然と広がる。
境内と云う感覚はどこにもなく大自然鄙びた僧坊がバランスよく配置されているだけである。
11月と云うのに直下に注ぐ太陽光線はさながら真夏そのもので短パン半袖で事足りる。
乾季らしく日中の湿度は左程高くはない。
生気あふれる広葉樹が天に向かい伸びきっている。
菩提樹沙羅双樹の類いがそこら辺りに自生していた。
坊舎と云うより倹しい屋根だけの建物に幾人かの住人が (たむろ) (たむろ)している。
決して尼さんには見えない。幼な子たちも混じる。
ノイさんが尋ねると修行僧の修行の為の洞窟や僧房はさらに奥まった山間の地にあって私人には近寄り難き聖域なのだという。
程ない所に防火用水のような水槽が目につく。
直径数メートルほどで深さも相当有りそう、底には賽銭が数多く沈んでいた。
ただ些か幻滅感を抱かざるをえなかった。
と云うのは此処で拝観料ならぬ観覧料を徴収して尼僧によるショーが展開されたのある。
僧衣を身に纏い水中に浮かび合掌する祈願祈祷の仕草や天上天下指差したり、或いは涅槃像を模して横たわったり、さらには座禅の姿勢を示したりしていた。
もっとも終始沈思黙考にして目を閉じ瞑想を試みる姿は読み取れはしたが、わたしには安っぽく映ってどうしようもなかった。
 それより、むしろこのワット タムマンコントーン(洞窟寺)の魅力は人口に膾炙することなく純真無垢な自然のままの佇まいが何とも言えなかった。
混濁とした此の世に突如出現した地上の楽園に等しい想いが募った。
高い梢に極彩色の大型の野鳥が数羽群れを成して、けたたましく歓迎の挨拶をしている。
僧籍の人物か知らねども、瞳の大きい少年が手には巨大なカミキリムシのような昆虫をいたわる様に携えていた。
とにかくデッカイ!これまた極彩色に光り輝く羽根の色合いはこの世のものとは思われない。
玉虫色より紫っぽい黄金色と云おうか、とてもじゃないが言葉で語り尽くし得ない魔物のような宝物に映った。
幼い妹が兄に隠れるようにして、そこにいた。
静寂の中に鳥の囀りと吹き渡る風に葉擦れの音だけが心地よい。
タイ国独特のゆったりした時の移ろいを五感でもって感じ取った一時でした。