老いぼれのタイ行き《9》

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タイ国ツアーに参加して=その9
 
ノイさんはこちらの要望を受け入れてカンチャナブリ県の史跡泰緬 (たいめん)泰緬 (たいめん)鉄道まで足を延ばしてくださった。
処が、わたしが察するところノイさんには本意ではなかったのかも知れない。
ノイさんは生粋のタイ国人である。あの戦時にはタイ国は日本軍に協力し英米に宣戦布告した。
それがもとでノイさんの同胞たちが、この鉄道敷設に労役として駆り出され夥しい数の犠牲者を出している。
 戦争史跡として立派な観光資源ではあろうがノイさんには決して心地よい場所ではなかったに違いない。
 口にこそ出されることはなかったが恐らくノイさんの身内の方が旧日本軍の犠牲とならているのではなかろうかと推察した次第だ。
 と申すのも、せっかく遠路長時間かけて名たるクワイ川鉄橋に車を横付けしたにも拘わらず水上レストランで遅めの昼食をとりトンボ返りする有り様であった。
 わたしなりにせめて戦争博物館の一つの見学を申し入れたのだが聞き入れられなかった。
 極めて不本意であり遺憾に存じたが如何ともし難い状況下にあった。況してや注文した瓶ビールが珍しく大瓶でおまけに生暖かい生ビールときて些か頭にきてしまった。
 加えて周囲を取り囲む白人客からの目線が何故かしら冷たく冷淡で白々しく映った。
日本語を語るわれ等に彼らの態度が一変し西洋人独特の眼光に鋭さが増したように私は感じ取った。
 昔年の怨念が甦ったに違いない。われ等をジャップとして捉えていたようだ。
 きっと、わたしの剃髪姿と人相が気になったのであろう。
 わたしは鉄橋を渡るレールの枕木に目が行った。
 あの往時から、既に七十年も経過し朽ち果てた老木が当時の激戦を独り物語っているようだ。