老いぼれの独り言

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町内にある小さな公園での草むしりでボランチア奉仕活動を体験させてみたいとの申し入れが近くの中学校から先日入った。
断わる理由がないので申し入れを受け入れることにしていた。
ところが昨日30日はまだ雨が残っていたのでお流れとなった。
剣道部の顧問の先生でいられ、部活動の活動の一環として勤労奉仕活動を経験させて見たかったらしいのです。
剣の技の修錬と草むしりとはなかなか結び付く要素がない。
草むしりを為せば剣道が上手になるとは古来あまり聞いたことがない。
その先生の意図するところには一体何があるのかわたしには分かりかねるのだがわたしなりに詮索してみた。
あっと言う間に繁茂する雑草、それも公共の地に所構わず無尽蔵に自生する雑草をただ雑然と雑念を抱いたまま毟り取ろうとすれば此れほど空しいことはない。
また、雑草と云えども命ある身、その草の命を遠慮会釈なく奪い取れば此れまた空しいこと限りなしである。
草むしりに没頭し空しい心境を厭と云うほど体得しつづければ、おのずと無の境地に陥りはしまいか。
剣を取って敵と対峙すれば無の境地、無心になれば敵の思惑を手に取るように読み取り勝ちを呼び込むことが叶うであろう。
更には、無味乾燥な草むしりに対峙し一期一会の心境で誠心誠意一心不乱に雑草と対決すれば知らぬ間に誠の大切さに気付くだろう。
草むしりとてだらだらとヤル気なしに取り組めば道場での稽古とて同じことになろう。
無意味な草むしりに真剣に取り組めばおのずと道場での稽古にも熱が入ることになろう。
剣の技だけに秀でて試合で勝者になっても人間形成に縁遠く疎んずるような剣士は見るからに遣る瀬無い。
 
この中学校の剣道顧問の先生の思惑は剣の道に取り組む以上は少しでも人間形成に寄与するよう部員たちに草むしりを強いたに違いない。
剣道の理念を謳う名文句、
“剣道は剣の理法の修錬による 人間形成の道である”
を噛み締めながらわたしもそうあって欲しいと願った。