老いぼれの独り言

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果てしない世界無限の分野に挑戦なされた郷土が誇る偉大な哲学者の西田幾多郎記念館を訪問した。
禅の世界にも飛び込まれて「寸心」という号をいただいたのだという。
斯くなる偉大で無限に近い業績をのこしても尚且つ「寸心」とは恐れ入る。
おごることなくへりくだったお方のお顔
をまじまじと見つめ続け、しげしげと眺めまくったが全然飽きることがない。
 所狭しと陳列されるおびただしい書籍類に圧倒され気が遠くなり (まぐ )れるおもいだ。
 くらくらとしたところへ迷路のように入り組んだお部屋をさ迷い歩けばますますボーとして気がおかしくなってしまった。
 
 飾り気の無い書体、要らないもの無駄なものを一切省いて何もかもなくなりもう死にかけてはいるが、よくよくみればどうしてどうして枯淡の味わいで息づき活き返り生き生きと光り輝いているではないか。
 なんとまあ不思議なことか。
 枯淡の味、日本人の味、東洋人の凝縮されたいろんなものが、能くは分からないが
わたしを取り巻きぐるぐる纏わり付きながら何かを催促しはじめた。
 
 何から何まで東洋の趣きで彩りされてはいたが、その空間を包み込む建造物がすべてコンクリートとガラス張りという西洋からの賜物に他ならない。
 そのガラス越しに太陽からの光が注ぎこむが天井にはLED電球が灯る。
 そして、西洋の最新機器iパットが超難度の『善の研究』を解説しているではありませんか。
 
こんな皮肉は何処にありましょうか。
此の館内は何とも云えぬほど「不思議な世界」で満ち溢れているのです。
 「食わず嫌い」はよろしくない。
 難解で取っ付き難いが此の館内にて時の経つのを忘れてただぼんやり佇んでいるだけで幾多郎の世界が薄ぼんやりと見え隠れし始めたではありませんか。
 零れ落ちる小春日和の陽射しを求めてもう一度この建物に行ってみなくてはならないと思いました。