老いぼれの独り言

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もっと自然体で行かねばならないのに最近のわたしはやたら弓に拘っている。
やはり、自前の「翔」を囲ったのが悪かったのかも知れない。
例によって本日は兼六道場で巻藁に向かっていた。
背後から日番の先生からお声が掛かった。
「今日は思い切って的前でやってみなさい」と突然のご指摘をいただいた。
「遠慮は禁物、此処はあなたの修行の場なんだから気楽にやりなさい」と優しくおっしゃる。
わたしはお言葉に甘えて的前に立った。
見様見真似で試みてみた。
「打ち起こし」から「大三」の時点にはわが袖の上に的をくっきりと捉えたもののだんだん「会」に絞り込むうちに今まで確認出来た的の映像がボヤケ始め終には無数の的が横一線に立ち並んでしまったではないか。
焦点を絞り切れないまま只無雑作に矢を離さざるを得なかった。
無慚、実に無惨。
致命的欠陥を自覚した。
生命線を断ち切られたも同然、物凄い悲哀感が襲いきて悲嘆にくれた。
弓存続の重大な岐路に立たされてしまったのです。
10本試射したがことごとく全部だめであった。
中らぬのは当たり前、視覚異常で焦点が定まらぬ事の方が衝撃だった。
弓聖、阿波研造の「的を狙うな、狙ってはいけない」が頭をよぎったが救いにはなりそうにない。
でも苦悶の自問自答の末、わたしは今まで通り巻藁の前であと壱ケ年間やってみることを決意した。
巻藁で十分ではないかとおのれを説得した。