老いのひとこと

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土曜日の弓道講座も数えて18回目で余すところあと4回を残すだけとなりました。
さすが若竹のような高校生諸君は等しく長足の進歩を遂げたように覗える。
一際長躯を誇るその彼にいたっては弓の技量の上達も然ることながら週を重ねるごとに身長を伸ばし190に届かん勢いではないか。
無限の可能性を秘める若者が羨ましい限りだ。
そして、みな悉く競うようにして的前に立って28メートル先へねらいを定めている。
それに肖るようにわたしも一緒に的前に立たせて貰いました。
3年間の巻藁修行の集大成の心積もりで試みるのだが周囲を意識しどうしても“弓を射ずして骨を射る事”とは程遠く“宇宙と一体となった雄大で深遠なる”弓の世界とは全く無関係な機械的な労作を繰り返すのみで恥ずかしい。
ただ、自分の矢が軌跡を描いて疾駆し安土に突き刺さるを確認し残心を解く。
的に中らぬまでも届いただけで可といたさねばならない。
これにて充分に収穫ありと内心満足したのです。
“射は仁の道なり”と言う。
今ようやくにして近寄り難き“仁の道”に足を踏み入れることが適った。
しみじみと喜びを嚙みしめながら道場を後に致せば此処神社の境内には苔むしたさざれ石が鎮座し日の丸の旗が悠然と見下ろしていた。
その時、わたしは図らずも日本人であることを意識したのでした。
そして、武道を嗜むことが適えられる日本人であって善かったと感じたのです。