老いのひとこと

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出足挫かれ幸先悪るし。
 二日県武初稽古へ勢い込んで馳せ参じてみれば迂闊にも袋取り違え取り出しいずるは木剣なり。
 抜くにも抜けず退散あるのみ。
 戦わずして勝負あり。
 万止む無し諦めるしかなかった。
 
 大阪の孫たちが此の雪のなか大層してやってきた。
 一人づつ畏まって正月年賀のご挨拶口上を正座の姿勢で恭しくやってくれた。
 せっかく家で練習してきた甲斐があったのかとても満足気だ。
 四人が夫々静かに一人遊びする場面は無きにしも非ずだが得てして四人の意見の対立する場面の方が
目立つのです。
 幼い孫が四人揃って仲良く遊びに打ち興ずる場面を期待するわたしの感覚の方が誤っているのでしょう。
 何より自己主張は成長の証し意見の対立は意見の衝突に至り(なじ)り合い(わめ)って(ののし)り合う始末、もはや手の施しようがないのです。
 其処へ以って若きお父さんお母さんの愛の躾け教育が割り込んでそれはそれは喧しいことになるのです。
 わたしたちにもこれが日常茶飯事であった往古の思い出は確かにある。
 かといって、その中に祖父母まで紛れ込めば情況は益々修羅場と化すであろうから此のわたしは逃げ出すしかないのです。
 
 此の賑々し家庭ドラマのクライマックスは突然風呂場からの悲鳴で始まったのです。
 ルイちゃんが湯舟にうんちしましたの絶叫が鳴り響く。
 若いお父さんお母さんは上よ下への大騒ぎ、わたしにはもう逃げ場はない。
 手をこまねいておろおろするだけなのです。
 微笑ましいではありませんか。
 こんな中でも孫たちはちゃんと逞しく育っていくのです。
 
 居合の初稽古に刀を取り違えて道場に及んだ。
 言い訳めいた弁解はみっとむないがどうも此の当りの経緯が平常心を欠くに至った言い草と致したいのかも知れぬ。 
 
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