老いのひとこと

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3.11から4年目が来ました。


よわい八十の大台に近付きました。


ゼロからの出発が晴れて参萬の大台に近付きつつまります。


此れすべて見ず知らずの皆さま方のお蔭です、皆さま方から頂いた無言の伝言テレパシーのお蔭なのです。


此れすべてわたしの身元に逆移入された不屈の東北魂と果敢なる勇気のお蔭なのです。


夥しい方々が人柱となって海のもずくとなられました。


辛うじて生を得た方々もいつ果てるとも知らぬ辛酸を今以って舐めつづけられていられる。


天与のあめつちから切り離され断腸の想いで既に故郷帰還を断念せざるを得ない方々も居られる。


セシュム137は半減期が30年、120年経っても1/16が残留し決してゼロにはならないのだという。


 


それに引き替えわたしたちは何もしないで只のほほんと生きているだけです。


何もしてあげれない、為す術がない、為す術を知らない。


済まない、済みませんと只ひたすら想うばかりです。


 


わたくしは何もできないが、でも必ずや何かを為さねばなりますまい。


わたしに云えることは、あの3.11を期してわたしは独り小舟に乗って海原を漂うことが適えられました。


 


わたしが生きた痕跡をとにかく此の小舟と共に漂わせて置きたい。


 


 


そして、生あるうちにもう一度あの大川小学校のグランドに立って外れの木立から呼び合い語り合う、楽しく笑い合う子どもたちの高笑を耳にしてみたい。


また、南三陸ホテル観洋に投宿し防災庁舎ビル跡から未希さんが必死に叫ぶ救命コールを聞けるものならばもう一度聞きに行きたい。