新幹線の旅≪12≫

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                                        どうしても起き上がれない



自動車道路沿いをそぞろ歩くうちに一キロ足らずで鶴岡八幡宮に至った。


大銀杏の大樹の在ったはずの石段に立って見てはしたなくもわたしは62年昔の修学旅行を思い出していた。


輝ける華の青春、高2の春ではあったがわたしは満身創痍生ける屍でしかなかった。


神経衰弱に侵されて生きる意欲すら失いかけたその時母親に背中を支えられ漸くの想いで此の旅行に参加が適ったのでした。


むかしの記念写真をスキャンして拡大するが見当たらない、ぶれた其れらしき人物をおのれに仕立てるしかない。


その程度の影薄き存在でしかなかったので仕方あるまい。


友とのふれあいも忘れ難き交友関係の絆も一切が忘却の彼方へと立ち去り思い出そうにも何も出て来ないのだ。 


 その影薄き存在が今62年後の此の日に同じ石段に立つことが適ったのです。


 辛うじて生きながらえて家内と共に人生終盤の小旅行に同行できた。


 其の歓喜の情を仰々しく大袈裟に現わしてみようと威勢よく帽子を振ってはみたが駄目だった。


感情表現が何ともぎこちなく無愛想でわがツラは強張っているではないか。


 八十路に近づく齢のせいでありましょうか。


 


 ウイークデーで在ったにもかかわらず大変な人出です。


 殊の外此処鶴岡八幡宮の人混みは尋常ではありません。


 苔むした古刹の趣はどこを捜してもないのだが、何と云っても此処には大銀杏にまつわる劇的エピソードがありました。


 


 ところが、少々驚いたのだが此の人混みにもかからわず大銀杏に目を注ぐ人はあまりいっらっしゃらない。


いや、ほとんどいないに等しい状態でしかないのです。


 東洋人らしきお方が一組写真を撮っていられたに過ぎなかった。


 平成22年の倒壊以来もう既に五年も経ってしまった。


 見向きもされぬ理由付けが何となく判ったのです。


 


 「熱しやすいが冷めやすい」と云うがわたしもその内の一人に相違ありません。


 


だが、此の地に立てばせめてあの銀杏の樹に思いを馳せても如何なものかと勝手に思ったりもした。


 


別件ながら、いま日本人として絶対に記憶から失ってはならぬこと肝に銘じなければならぬことが幾つかあろうかと思った。


 戦争を仕出かしたこと、もう二度と再び戦争をしないと誓ったこと、311惨禍のこと原発の恐ろしさのことなどは同じ日本人同士なら同じコンセンサスで以って共通認識し合わねばならぬとわたしは思うのだが現実は何としても寂しい限りではありませんか。


 しかし、鶴岡八幡宮に来れたことに対し併せて源頼朝公は武士の本家本元の元祖ゆえに何故かしら自然と頭が下がるのです。


 在って然るべき武士道精神が絶ゆることなく末永く日本国の精神的土壌のいしずえとして存続することを本殿にお祈り申した次第です


 


 

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