老いのひとこと(大阪行き)

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60年以前子どもが遊ぶ


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60年後人なく柵取り巻く



云ってみれば大した薄情者でした。


犬畜生にまさる無礼者でしょう。


60年前のあの下宿のおばちゃんはもうとっくに天国のお人になられてしまわれた。


此処久しく長きに亘り音信を取ろうともせず60年近くの歳月が流れてしまった。


遅ればせながらもご無沙汰をお詫びしようと京都市北区大宮林町の「西念寺」を恐る恐る訪れてみたのです。


往時の面影は何処にもなくとてもゴージャスにして超近代的な佇まいに生まれ変わっていた。


門扉は固く締まり、呼び鈴を押す確たる根拠も勇気もなく敢え無く門前を後にしてしまったのです。


実は、60年むかしのあの頃、わたしは此処「西念寺」方にて三畳一間の下宿生活を囲ったのです。


大きな恩義を抱いて然るべきにも拘らず梨の礫の非礼を貫き通した愚か者が此処にいるのです。


 


60年前のあの頃、御園橋を渡って上賀茂神社の境内に仲間たちと憩いの場を求めてよくぞ息抜きをしたものでした。


米蔵だったという校倉造りの倉庫を背景にシャッターを切ったスナップ写真と同じアングルで60年後のわたしはデジカメのシャッターを押してみたのです。


60年間の時の経過が前後左右に複雑に絡み合って得難き複雑なる心境を体得したのです。


 


何を隠そう、此の「西念寺」と目と鼻の至近距離に「神光院」も「西方寺」も寄り添うようにあることを知らなかった末成りの木偶の坊が此処にいるのです。


此のわたし一体何を学び何を求めて生きていたのか。