老いのひとこと

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教養講座の日は病み付きとまでは行かないまでも何とはなしに気になって自然と足が向いてしまう。


いろんな宗派のお坊さんが見えられますが何度となしに正信偈真宗宗歌と恩徳讃を歌う機会をいただいている。


歌わなくてもよいのだが歌わなくては悪いので口をもぐもぐ動かしているありさまです。


未だ一度も禅宗のお坊さんにはお目に掛かってはいない。


その内お見えになりましょう。


身の回りには神社があり寺町通りには各宗派の寺院が建ち並ぶ。


他力本願がよいのかそれとも自力の方が向いているのか、どれがよいのかどれにしたらよいのか目移りして此の歳に至っても未だ定まらない。


出来得ることなれば、山本七平さんが唱える日本教の一信者にでもせめてなれればよいのだがこれもダメそうだ。


難しい孔孟の教えや老荘の教えは何にもわからないしお釈迦さんや達磨さんのことも何も知らない者に日本古来の神道までもが加わり何もかもごちゃ混ぜになってちんぷんかんぷん全く動きが取れない。


煩悩細胞だけが異常に増殖して破裂寸前だ。


早く内部分裂して単純な単細胞に立ち返りたい。


そして、何も考えずに為すがままに大きな自然の法理に自分のこころを委ねてしまいたい。


 


先日の事、お坊さんからチエーン&リンクのマジックを教えて頂いた。


コツは何も考えずに自然の成り行きにお任せすることだと教わったがなかなか難しい。


何事によらず無心の境地に至るには並々ならぬ修行が要ることがよくわかった。


やってもやっても上手くできない。


仏の教えに全てを委ねて揺ったりしたいのだがこれもなかなか出来ないのです。